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ん:んだ
驚いても オドロキキレナイ
喜んでも ヨロコビキレナイ
悲しんでも カナシミキレナイ
愛しても アイシキレナイ

それが板画です
 -棟方志功



僕が持ってた国語辞書の、一番最後に載ってたのをはっきり覚えてます。「んだ」。

日本語では「ん」が最初に付く言葉はないことになっています。だからこそ、しりとりのルールにもなったりするわけです。しかし、方言の中には「ん」が最初につく言葉もいっぱいあるわけです。東北地方だけでも

んぼこ(子供)
んねが(そうでしょ)
んばる(おんぶする)
んがね(行かない)
んさ(あなた)

等々。南へ飛んで沖縄へ行くと

んじ(とげ)
んちゅみ(米)
んぞ(彼女)
んす(味噌)
んむ(いも)

等々。

そもそも、いわゆる「あいうえお表」で決められた母音・子音とて、標準語というカテゴリーの中で整理されたものであるに過ぎず、方言の中には「あいうえお表」の文字だけでは表せない、微妙で豊かな響きを持った母音・子音がいっぱいあるわけです。

たとえば「この台の下さ持ってけろ」ってのは、本当は「このだいのスたさもっでゲろ」に近かったりもするわけで、そう考えると、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」の、これも有名な言葉

あめゆじゅ とてちて けんじゃ

も、本来はこういう文字列では表せない微妙な音なんだろうと想像できるわけです。これはまるで、平均律にすっかり慣れてしまった耳に1/4音階がものすごく豊かに響くのと同じような、そんな衝撃といえるでしょう。

人間の口から発せられる音には、無限のバリエーションがあります。私達はその「音」を使ってお互いに気持ちを伝えあいます。それは時に人を傷つけ、立ち直れないほどの苦痛を与えます。しかし、その傷を癒やし、奮い立たせ、勇気づけるのも、同じ口から発せられる音・・・すなわち「言葉」です。言葉は時に無力です。しかし、世界を変えることができるのは、やはり言葉しかないのです。そんな「言葉」を、私達は大切に大切に扱わなければならないと思うのです。

・・・あれ?こんな高尚なこと言うブログじゃなかったはずなんだけど??

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というわけで、今回を持ちまして、2年続きました「あいうえおブログ」、今回を持ちましてめでたく最終回でございます!いやぁ、よくやった。大したもんだ(パチパチパチ)。そんなわけで、次回、総括!
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アフリカには、ンで始まるファーストネームの人がいます。かつて宮本輝は著書の中で、”ン”で始まる名前の男なんかに娘をやれるか!未来が無いじゃないか!” と述べています。言いえて妙というか、無理があるというか。ふと思い出しました。
2014/12/22(月) 21:34:28 | URL | としちゃん #ZSPEfpMw [ 編集 ]
うまいな、しかし(^^;)
2014/12/23(火) 19:55:48 | URL | Takayuki Nishioka #- [ 編集 ]
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