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し:幸せ
我々は他人が幸福でないのを当たり前だと考え、
自分自身が幸福でないことにはいつも納得がいかない。
 -エッシェンバッハ

こんなテーマ、書けねぇよ・・・

ちょっと想像してみてください。

あなたの知り合いが、最近行ったレストランの話をしています。彼/彼女はそのレストランがお気に入りで、とてもおいしかったと楽しそうに話しています。実はあなたもそのレストランに行ったことがあるのですが、あなたはそのレストランがあまり好きではありません。

このとき、あなたはどう答えますか?

A:「あぁ、知ってる!あそこ、おいしいよね!僕も好き!」
B:「あぁ、知ってる!でも、そんなにおいしくないよね。僕はきらい」

まず、A。日本の特徴である「狭くて濃密なコミュニティー」の中において、この答えはしばしば用いられる方法です。いわゆる「空気を読む」といわれる方法で、場合によっては非常に効果的です。この答えなら、誰も不幸にはなりません--あなた以外は。ここが大問題で、この幸せはあなたの不幸の上に成り立っているわけです。だれかの犠牲の上にしか成り立たない幸せを、幸せと呼ぶことはできません。「空気を読む」という習慣は、場合によってとても大きな不幸を生み出してしまい、あなたの世界をとても息苦しくしてしまいます。

次にB。さきほどとは逆で、これを言うことであなたは確実に幸せになれます。ウソをつかずにすむからです。しかし、この方法の最大の欠点は、あなた以外の誰も幸せになれないことです。自分はおいしいと思っているレストランの味をあなたに否定されたことで、彼/彼女はその後の話ができなくなるばかりか、自分の価値観を、あるいは自分自身を否定されたような気分になるでしょう。これにかぶせて、なぜそのレストランの味がダメなのかを説明するなんてのは論外です。自分がいいと思っているものを片っ端から否定されて、いい気分になる人はいません。

では、どう答えればいいのでしょう?

評価を言わない」。「あ、あそこ行ったんだ」で終わらせちゃう。一つの解決策ではありますね。あなたはウソをついていません。また、否定的な評価をしないことで、彼/彼女の気分を害することもありません。消極的な解決策ではありますが、決して否定されるような策ではありません。

あ、そこ知ってる。おいしいって言う人多いよね」。これはある種のレトリック。「おいしいという人は多い(が、私はおいしいとは思わない)」の、後半部分を削除しています。下手にやるとイヤミになっちゃいそうで、ちょっとギリギリな感じはしますね。

僕も行ったことあるよ。味は、僕みたいな味オンチにはよくわからなかったけど」。どうしても評価を求められた場合には、このような逃げ手ですかね。自分を一段落として評価することで相手の面目も保たれます。そもそも味なんてものに絶対的な評価基準なんてないのですから(使ってはいけないものを使ってるとか、賞味期限切れとかは、この際論外)、どうしても評価を求められた場合にはこれくらいが妥当な線なんじゃないでしょうか。

幸せはデリケートです。コミュニケーションというものが本質的に難しくデリケートであるのと同じくらい、デリケートです。みんな幸せになれるといいですね。

・・・それがシメ!?
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コメント
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うん、これは非常に重要なスキルですよね。
子供には小さいうちから教えておくべき課題です。
ちなみに私にはとてもマスターできない、高いハードルです。
2013/04/16(火) 04:06:24 | URL | としちゃん #ZSPEfpMw [ 編集 ]
これができないとダメってわけでもない、ってところがまたコミュニケーションの面白いところでね。それはそれでいいんじゃないの?(笑)
2013/04/16(火) 10:11:16 | URL | Takayuki Nishioka #- [ 編集 ]
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