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一つの涙
先週の水曜日の夜。シンガポールのスタッフ10数人と、今回のミーティングで集まったスタッフ4人(日本人1人(僕)、中国人1人、オーストラリア人2人)でちょっとしたパーティーをやりました。

みんなそれぞれに話し込んで、笑いあって、楽しかったんですが、僕とオーストラリア人2人で話し始めた時(中国人の彼は、たまたま別の場所で別のスタッフと話し込んでいたので、その場にはいませんでした)、オーストラリア人の1人(50過ぎのおじさん)が、去年、日本に旅行に来た時のことを話し始めました。

--彼は去年、奥さんと2人で日本に来ていて、休日を使って観光もしたんです。その時、僕は東京で彼を迎え、その話をしたので覚えているんですが、彼は東京に来る前にワシントンでエノラゲイを見てきた、という話をしました。「休日を使って広島に行くつもりだ」というので、「それなら原爆資料館を見てくるといい。両方の言い分を見て、聴いて、あの原爆が正しかったのか間違いだったのかを『自分の頭で』考えてほしい」と言いました。

彼は、結局原爆資料館に行ったようで、その時の話をもう一人のオーストラリア人(40歳・2児のパパ)にし始めました。「とにかく、ひどいんだ。爆弾の熱で溶けた三輪車とかが飾ってあって・・」。僕が続けます「弁当箱もあったでしょ?子供に届ける途中で原爆が落ちて、お母さんは子供のお弁当を抱きかかえて守ったんだ。お母さんは吹き飛んじゃったけど、弁当箱だけ残ったんだ」「あぁ、あったあった。それから、人の影が焼きついた壁とか」。

ずっと黙って聞いていた彼は、瞬きもせず、口を押さえて聞き入っていましたが、やがて涙ぐみはじめたんです。

「街は今、どうなってるの?」「広島は、日本でも10本の指に入る大都市になってるよ」「みんな普通に生活してるの?」「もちろん。街だけ見れば、何もなかったみたいに平和にね」

僕は、続けました。「確かに、日本は戦時中にいろいろなひどいことをしたかもしれない。でも、それが何万人もの市民を焼きつくし、21世紀になった今でさえ、放射能で亡くなる人を出し続けなきゃならない理由になるのか?」と。

彼はちょっと間をおいて、「少なくとも、正しいことじゃないよね」とだけ言いました。それから1分くらいの間、僕らは何も言えなくなってしまいました。

やがて、涙ぐんだ彼は、オーストラリア人特有の明るさで「この話、止めようよ」と笑いました。うん、そうだね。こんな場所には確かにふさわしくない話だね。そして僕らはまた、それまでのたわいもない話に戻りました。

でも、その話は彼らの中に確かなさざ波を立てたようです。「止めようよ」と笑いあってから元のたわいもない話に戻るのに、やはり1分くらいの時間が必要だったからです。

オーストラリアは、あの戦争では連合国側・・・つまり、アメリカ側でしたが、涙ぐんだ彼はエノラゲイも原爆資料館も自分の目では見ていないので、僕らの・・・特に、日本人である僕の・・・話を聞いて感傷的になっただけなのかもしれません。原爆について彼がほとんど何も知らなかったことについて、僕が少なからず驚いたのも事実です。でも僕は、彼のあの涙が何かにつながってくれるはずだ、と思いたくて仕方ありませんでした。
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コメント
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No title
 まったく同感です。
それに、今後日本が核兵器を持つかもしれない、と思うとやるせない気持ちになります。
2011/02/03(木) 00:14:24 | URL | としちゃん #ZSPEfpMw [ 編集 ]
そうなんだ。あんなにひどい目にあってからたった66年しか経ってないのに、もうみんな忘れかけてるんだ。それが一番怖いよ。
2011/02/03(木) 09:43:52 | URL | Takayuki Nishioka #- [ 編集 ]
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