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あいうえお・総括!
2年にわたって続けてまいりました「あいうえおブログ」も、前回の「ん:んだ」をもちまして最終回となりました。というわけで、ここですべてのテーマをまとめてみます。私は何を書いてきたのでしょうか!?


あ:朝日
い:椅子
う:うどん
え:鉛筆
お:温度計

か:かばん
き:機械
く:
け:けん玉
こ:コーヒー

さ:サバイバル
し:幸せ
す:スカイツリー
せ:世界地図
そ:ソーセージ

た:太鼓
ち:チョコレート
つ:つめ
て:天丼
と:東大

な:納豆
に:ニシオカさん
ぬ:ぬらりひょん
ね:ねこ
の:のれん

は:はみがき
ひ:ひまわり
ふ:富士山
へ:変態
ほ:ほうき

ま:
み:ミジンコ
む:紫式部
め:目薬
も:モントリオール

や:野球
ゆ:
よ:ヨーグルト

ら:ラーメン
り:りんご
る:ルートビール
れ:冷蔵庫
ろ:路面電車

わ:ワイン
ゐ:ウヰスキー
ゑ:ヱビス
を:都をどり

ん:んだ


前半まとめでも書きましたが、カタカナにおける「ー」率の高さ(9/13)は相変わらず。カタカナ率(13/48)は、全カテゴリー中、食べ物率(13/48)と並んでトップです。

あと統計的なところでいうと、生き物率がやたらと低い(2/48:ねこ、ミジンコ)。

最長文字数テーマ「も:モントリオール」
最大テーマ「あ:朝日」
最小テーマ「み:ミジンコ」
最古テーマ「む:紫式部」
最新テーマ「す:スカイツリー」

一番苦労したのは「を:都をどり」。結局、テーマに関することは何も書いてないというひどさ。浅草演芸と江戸落語の話だけして終わっちゃってるもんね。逆に、書いてて楽しかったのは「つ:つめ」と最終回の「ん:んだ」。あいうえおブログはいつも、テーマを決めてから「・・・さて、どう書いたもんか」と悩むわけですが、見切り発車で書き出した文が思わぬ方向に加速してするする書け出すことがありまして、そういうときは快感ですね。

そもそもはそういう「あらぬ方向に暴走する喜び」みたいなことを目指してたんですが、その点はあんまりうまくいかなかったような気がします。もっとこう、勢いのある文章が書けるかと思ったんですが、難しかったなぁ。いつもズルズルで終わっちゃう。いや、ズルズルで終わるのはいいとしても、真ん中はもっと暴走してもよかったかなと思います。文章でそういうことするのって、やっぱり難しいな。

あと、冒頭の名言を探すのがいつも結構大変だったのですが、毎回「ほほ〜」という言葉に出会えたりもするので、それは楽しみでした。

というわけで、あいうえおブログは今回でひとまず終了です。来年また、新しいテーマでお会いしましょう〜。
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ん:んだ
驚いても オドロキキレナイ
喜んでも ヨロコビキレナイ
悲しんでも カナシミキレナイ
愛しても アイシキレナイ

それが板画です
 -棟方志功



僕が持ってた国語辞書の、一番最後に載ってたのをはっきり覚えてます。「んだ」。

日本語では「ん」が最初に付く言葉はないことになっています。だからこそ、しりとりのルールにもなったりするわけです。しかし、方言の中には「ん」が最初につく言葉もいっぱいあるわけです。東北地方だけでも

んぼこ(子供)
んねが(そうでしょ)
んばる(おんぶする)
んがね(行かない)
んさ(あなた)

等々。南へ飛んで沖縄へ行くと

んじ(とげ)
んちゅみ(米)
んぞ(彼女)
んす(味噌)
んむ(いも)

等々。

そもそも、いわゆる「あいうえお表」で決められた母音・子音とて、標準語というカテゴリーの中で整理されたものであるに過ぎず、方言の中には「あいうえお表」の文字だけでは表せない、微妙で豊かな響きを持った母音・子音がいっぱいあるわけです。

たとえば「この台の下さ持ってけろ」ってのは、本当は「このだいのスたさもっでゲろ」に近かったりもするわけで、そう考えると、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」の、これも有名な言葉

あめゆじゅ とてちて けんじゃ

も、本来はこういう文字列では表せない微妙な音なんだろうと想像できるわけです。これはまるで、平均律にすっかり慣れてしまった耳に1/4音階がものすごく豊かに響くのと同じような、そんな衝撃といえるでしょう。

人間の口から発せられる音には、無限のバリエーションがあります。私達はその「音」を使ってお互いに気持ちを伝えあいます。それは時に人を傷つけ、立ち直れないほどの苦痛を与えます。しかし、その傷を癒やし、奮い立たせ、勇気づけるのも、同じ口から発せられる音・・・すなわち「言葉」です。言葉は時に無力です。しかし、世界を変えることができるのは、やはり言葉しかないのです。そんな「言葉」を、私達は大切に大切に扱わなければならないと思うのです。

・・・あれ?こんな高尚なこと言うブログじゃなかったはずなんだけど??

=================
というわけで、今回を持ちまして、2年続きました「あいうえおブログ」、今回を持ちましてめでたく最終回でございます!いやぁ、よくやった。大したもんだ(パチパチパチ)。そんなわけで、次回、総括!
を:都をどり
最近の芸人は、笑わせてるんじゃない
笑われてるんだ
 -内海好江



あらかじめ申し上げておきますが、今回のあいうえお、多分史上最悪の出来になると思います。

・・・出ねぇよ、「を」。やっと出たのが今朝、地下鉄の壁に張ってあったのを見た「都をどり」のポスターの記憶。これだって京都にも日本舞踊にも縁もゆかりも興味もないオレにはなんのことだか(いや、京都には多少興味あるけど)。冒頭の名言だって「都をどり -> 日本舞踊 -> 芸事 -> 内海桂子・好江」っていう、なんだかわけのわからない道筋で、それもかなり昔(それこそ好江師匠がまだご存命だった頃)にテレビで見た曖昧な記憶の言葉だし。あえて言うなら芸事から内海桂子・好江に辿り着くところがさすがオレ。

内海桂子・好江師匠の偉大さは今さら言うまでもないわけですが、記憶にある漫才は

好江「あたしらもいつまでも三味線持って都々逸ばっかり歌ってる場合じゃないんだよ。舞台なんだから。どんな曲だって弾けるようにならなきゃいけないんだよ」
桂子「そんなこと言ったって三味線なんだから、都々逸くらいしかないでしょ」
好江「そんなこと言ってるから時代に取り残されるんだよ。たまには拡張高くクラシック、それもアリアかなんか弾いてみなきゃ」
桂子「アリア!?なんだいそれ。三味線でそんなの弾けるわけないじゃないか」
好江「だからあんたはダメだっての。何年この仕事してるの。そんな唐紙みたいな派手な着物着て。無駄飯食って歳取ってるからそうなるの。いいかい、弾いてみせるから、下がって見てなさい。キミの時代は終わったよ。よっ!あ、アリァ、アリァ、アリァさ!」

ってヤツ。この「唐紙みたいな派手な着物着て無駄飯食ってる」ってのがなんとも好きでね。好江師匠のチャキチャキの江戸弁でこれを言われると、ものすごく気持ちよくて好きだったなぁ。

江戸弁といえば、六代目・三遊亭圓生師匠は普段から江戸の芸人言葉を話す人だったようですね。現・六代・三遊亭圓楽師匠(元の楽太郎)が先代の圓楽師匠に弟子入りして圓生師匠に挨拶しに行った時「大学を出てるんですってね。へっへっへ。・・・・無駄でゲス」と言われた、という話をしてました。

・・・ほら、「都」の話も「をどり」の話も一切してない。江戸落語の話しちゃってるもんね。なんだいこりゃ。

次回、いよいよ「あいうえお」最終回!
ゑ:ヱビス
神はわれわれを愛し、われわれに幸せになることを求めている
ビールがその証拠である
 -ベンジャミン・フランクリン



これくらいしか思いつかないって。「ゑ」。あと思いついたのは小説家の「住井すゑ」さん。これも子供の頃家に本があったのを覚えてるからで、「橋のない川」は読んだことはないです。いつか読まなきゃなんだけどね。

ヱビス。七福神としてのヱビス。または東京都渋谷区恵比寿。でも渋谷区恵比寿はそこにヱビスビールがあったからであって、どうしてもヱビスビールに行き着いちゃうわけです。

ヱビスビールは、僕らがビールを飲み始めた頃にはマイナーブランドでした。おじいちゃんが飲んでたかも、くらい。それが一気にプレミアムブランドになったのは、美味しんぼがきっかけなんだそうです。そう言われてみると、僕がヱビスビールを意識して飲みだしたのも美味しんぼを読んでから。それまでは全国どこに行ってもドライビール全盛で、とにかくドライ一辺倒だったのが、一気にプレミアムビールに舵を取ることになり。昨日まで「ドライビール最高!」と言ってた人たちが「まだそんなの飲んでるの?味がわかる人はやっぱりヱビスでしょ」とか言い出すようになりました。そんなもんです。こうしてドライビールはアサヒを残して市場から消え去り、そして、プレミアムビールもヱビスを除いて市場から消え去りました。僕はハートランドが結構好きだったんですが、今置いてある店を見たことがないです。

では常にヱビスが最高なのかというと、なかなかそうも言い切れない感じもするんですよね。確かに美味しいんです。ずっしりとしたボディー。なるほど、これがビールなんだ、という感じ。なんかわかったような事書いてますけど、本当はよくわかってないです。みんながそういうからそう書いてるだけ。でも、このフルボディーな感じが、時々重すぎて億劫になることがあるんです。そういうときはバドワイザーですら億劫で、コロナに逃げちゃう。前にも書いたんだけど、「多分僕はビールがそんなに好きじゃないんだと思う」っていうのは、こういう経験から気づいたのでした。「とりあえず、ビール!」のビールも最近は飲まないで、いきなり水割り飲んじゃう感じだもんね。

当然お分かりかと思いますが念のためお断りしておくと、ヱビスビールにはなんの責任もないです。ってか、そんな僕でさえ、それでもビールと言われてヱビスビールが出てくるとちょっとうれしいくらいなんだから。だから、やっぱりヱビスなのですよ、これは。

ヱビスとコロナの両方好きってのは間違ってるんですかね?バドワイザーも好き。あ、でも、Budweiser LightとかCoors Lightとかの「Light」ビールは、なんか騙されてる感じがしてあんまり好きじゃない。ヱビスLightとか出てきちゃったら、「いったいお前はどうしたいんだ!?」ってツっこんじゃいそう。
ゐ:ウヰスキー
何年か前、彼は、もし世界に明かりのスウィッチというものがあれば、
もう一目盛りか二目盛り暗くするのだが、と私に言ったことがある。
私はその時、それはウイスキーがやってくれるよ、と思ったのを覚えている。
ウイスキーは明かりを暗くし、ヴォリュームを下げ、物の角をまるくしてくれる。
 -ローレンス・ブロック



わはは!みんな今回は「を」だと思ったでしょ!思ったでしょ!「ゐ」なんだな、これが。しかも、前回がワインで今回がウイスキー。美しい。あぁ、美しすぎる・・・。「ゐ」がタイプで出せなくて、出し方を検索しまくって時間かかったのは美しくない(「wyi」だって。知ってた?)。

「ゐ」が頭につく言葉は、やっぱり思い出せませんでした。使ってないもんね。僕の記憶の中にある「ゐ」または「ヰ」は、この「ウヰスキー」と炭酸水の「ウヰルキンソン」。

で、ウイスキー(面倒くさいから「イ」にする)。前回も書いたけど、僕が普段飲むのは圧倒的にウイスキー。ワインはよくわからないけど、ウイスキーの違いならわかる。わかるったって、どこの蒸溜所のこの香りはなんの材料でなんの樽でとか、そういうのはわかんないですけど、少なくともワインの違いよりははっきりとした違いを感じることができます。

一番好きなのはラフロイグ (Laphroaig) 。ものすごくスモーキーで、悪く言えば正露丸のような香りのピート香が強烈なシングルモルト。好みがはっきり分かれるようで、イギリス人の中にも「子供のお仕置きで飲ませる以外に用途はない」と言い切る人までいるそうな。僕はそういう強烈なエッジを持った「ワン・アンド・オンリー」なものが好きです。

さらに、ほぼ同率一位でアードベッグ(Ardbeg)。これもかなり強いスモーキータイプなんだけど、僕のイメージでは、ラフロイグが「荒れた海と荒野」なら、アードベッグは「精緻な教会」。スモーキーな荒々しさの中にも凛とした佇まいをみせてくれる酒で、ため息が漏れちゃうような美しさ。

一方、マッカラン(The Macallan)は「上品な紳士」、カリラ(Caol Ila)は「お嬢様」。静かで気品漂う佇まいで、思わず敬語になっちゃう感じ。シングルモルトにあまり経験がない人にはこのあたりから勧めて、ウイスキーの気品のなんたるかを知ってほしい。

日本のベストウイスキーは、なんといってもサントリーの白州(はくしゅう)。ラフロイグが「海」なら、白州は「森」。「森の奥深くに住む無口な木こり」っていうイメージ。

これだけ語っておいて、普段飲んでるのはサントリーの角。上に書いたような素晴らしい酒を毎日普段飲みしてたら、そりゃ家計がもたないわけですよ。角あたりが味と値段のバランスが良いのです。あと、買いやすさね。ブラックニッカもサントリーホワイトも、スコットランドのベルズ(The Bell's)もそれぞれ飲んで、特にベルズなんか結構好きだったんですけどね(ものすごく安いのに、本当に美味しいです。オススメ)。ベルズは大瓶では売ってなかったりもして、面倒になっちゃいましてね。なので、もっぱら角です。ニッカのオールモルト(All Malt)も普段飲みでは好きなんですけど、これもなかなか大瓶で手に入らない。

そういえば、今NHKの連ドラで竹鶴政孝が取り上げられてますけど、日本のウイスキーファンで彼の名を知らないものはいません。日本の二大ウイスキーメーカーであるところのサントリーとニッカが両方とも竹鶴の手によるものだと知ったら、日本のウイスキーファンは彼に足を向けて寝られないのですよ。つまり、彼がいなかったら日本にウイスキーは存在しなかったのです。本当に。

いずれにしてもウイスキーは、仲間とワイワイ飲むのもいいですけど、どちらかというと一人で静かに飲みたい酒。今回はいつもと違って書きたいことが次々出てくるんだけど、このあたりでやめておいて、あとは静かに、世界が丸く柔らかくなっていくのを楽しみたいと思います。
わ:ワイン
あぁ、私は今、幸せを飲んでいる
 -ドン・ペリニョン



冒頭の名言、見つけるのに苦労する回が結構あるんですけど、今回は出るわ出るわ。いい名言が山のようにあります。

私は、機会があればワインを飲む。時には機会がなくても飲む。
 -セルバンテス

真理の発見はワインを飲みすぎても駄目だが、飲まなくても駄目。
 ーパスカル

真実はワインの中にある
 -大プリニウス

ブドウ畑と美人は手がかかる。
 ーフランスのことわざ



このブログにも何度か書いてますが、僕はウイスキー党。ワインはそんなに飲みません。ってか、正直いって、よくわからない。特にわからないのが赤ワインでして、みんなが「これ、おいしい!」と言って飲んでいるワインが、僕には何が違うのか、よくわからない。

キリッと冷やした白ワインは好きなんです。僕が今まで飲んだワインで一番美味しかったのは、ニューヨークで飲んだカリフォルニアの白ワイン。4リットル入りのでっかい箱に入ってて、プラスチックの蛇口がついてるような安いワイン。なんていう種類なのかなんて全然覚えてないですけど、あれは美味しかったなぁ。

でも、赤ワインがわからない。タンニンの渋みがどうのとか、ぶどうの香りがどうのとか、なんだかよくわからない。シラーがどうの、メルローがどうなんて、もう全然わからない。フランスの赤ワインもチリの赤ワインも同じんい思えちゃう。なんか悔しいんだよなぁ。

世界で言えば、酒といえばやっぱりワインじゃないですか。だから、ワインがわかるってのは楽しみが世界規模で広がるってことでしょ。ウイスキーもあるにはあるけど、やっぱりスコットランドでしょ。スコットランド以外はそれほど注目するものはないよね。でもワインはフランス、イタリア、ドイツ、スペイン、チリ、カリフォルニア・・・。世界中に産地があって、それぞれに違うわけですよね(僕にはよくわからないけど)。さらに、それぞれのワイナリーに由緒とか歴史があって、それを知るのも楽しそう。ウイスキーの琥珀色も美しいけど、赤ワインのルビーのような輝きも美しい。いいなぁ。

そういえば、かなり昔、パリに行ったとき、地下鉄の駅を降りて出口へ向かう地下道を歩いてたら、酔っぱらいが歩いてましてね。栓を開けたワインのボトルをぶら下げて、反対側の手にはワイングラスを2個持ってるんです。酔っぱらいなのでラッパ飲みするのかと思ったら、飲むときはそのグラスに一旦注いでから飲むんですね。なんか、パリの酔っぱらいはかっこいいなぁとか思っちゃいまして。そのすぐ後、たった今飲んだグラスを地下道の壁に叩きつけて「ガシャーーン!」と割ってました。ちょっと怖かったけど、なんかそれもかっこよくてね。いつか真似してやろうと思ってるんだけど、なかなか機会がない。紙コップでやったら貧乏くさいだけでしょ。「ペコンペコン・・・」なんつって。

ただまぁ、負け惜しみですけど、ワインのある人生が豊かなのと同じくらい、ウイスキーのある人生は豊かですよ。スコットランドだけでも飲みきれないくらいの種類がありますしね。どっちにしてもみなさん、美味しい酒を飲もうじゃないですか。美味しい酒を飲みましょう。美味しい酒を飲ませてください。ねぇ、飲もうよ~。
ろ:路面電車
起き抜けの路面電車が
海を渡るのが見えたんです
 -はっぴいえんど(「風を集めて」 作詞:松本隆 作曲:細野晴臣)



いやぁ、出なかった。「ろ」がつく言葉。かなり長いこと考えて、やっと出たのが「路面電車」。その後すぐ「ロイター」ってのも出たんだけど、「あいうえおブログ」のお約束(最初に出た言葉で書く)にしたがって、路面電車で書きます。「ロイター」で何か書けって言われても書けないし。

路面電車。残念ながら、僕は今までほんの数回しか乗ったことがないのです。好きなんですけどね。なかなか乗る機会がない。記憶にあるのは、都電荒川線。確か早稲田から大塚までだったと思いますが、春の昼下がりで、すごくいい気分だったのを覚えてます。その後、用もないのにわざわざ三ノ輪まで行ってみたりもしたくらい。

もう一つ乗ったことがあるのが、広島市電。広島の町中から広島駅まで行くのは、実はこれが一番便利だったりするのです。でも多分、僕の路面電車経験はこの2つくらい。本当はもっと乗りたいんだけど、なかなか機会がなくて残念です。

路面電車ってのは、なんていうか、「幸せな乗り物」っていう感じがするのです。バスと同じ地面を、車と同じルールで、電車として走る。その不思議で特殊な感覚と、それとは対照的に、それが走る路地に息づく生活感。乗る人達も、2時間後や明日のためではなく、15分後の確かな生活のために乗る。短い駅間を確実にコトコトと走る路面電車は、そんな「ありふれていて、得難い幸せ」を運んでいるように思えるのです。それはまるで、食卓の上にいつも置いてある昆布の佃煮のような。あるいは鮭フレークのような。あるいはキャビアのような(お前んち、金持ちだな)。キラキラした派手さはないけれど、心から落ち着かせてくれる幸せ。いつもあるものが、今日もある。そんな幸せ。

そんな幸せを全国のどの路面電車でも感じられるってのは、路面電車がいかに生活に密着した乗り物か、ということだったりもするのです。

考えてみれば不思議なもので、僕が物心ついた頃には、路面電車はもう交通の主役ではありませんでした。都内でまるで遺跡のように残っていた(残っている)荒川線が唯一で、これとて僕は日常の足として使ったことなんかありません。それでも、昼下がりの荒川線は幸せで満ちているように感じたのです。

僕は本当に時々しか乗らないからそんなことを感じるけど、多分、毎日乗ってたらそんな感じもないんでしょうね。だって、山手線に何も感じないもんね。で、僕はいつも「これに幸せを感じない地元の人々」ってのがちょっとうらやましかったりもするのです。だって、それが「生活の足」というもの。そして、彼らが本当の意味での生活の足として路面電車を利用していて、路面電車が生活の中に溶け込んでいるからこそ意識しない、ということが、とてもうらやましいのです。つまり僕は、「路面電車がある生活」ってのに憧れているのです。

いいなぁ、路面電車・・・ってか、「路面電車のある生活」。
れ:冷蔵庫
冷蔵庫を食物の凍結防止用としてエスキモーに売り込むことに成功したセールスマンは、
新しいプロセスや製品を開発したものと同様、
イノベーションの担い手である。
 -ピーター・ドラッカー



僕ももう、いい加減なおっさんですが、それでも物心ついたときには、家に冷蔵庫はありました。だから、冷蔵庫がなかった時代の話とか、冷蔵庫が家にやってきたときの感動とかは、よくわからないです。ただ、おじいちゃんの家には冷凍庫が庫内の一番上のスペースに囲ってあるだけの1ドアタイプがあって、「うわ、ふるいなぁ」と思ったのを覚えてます。さすがに、それより前の「氷を買ってきて庫内を冷やすタイプ」なんてのは知りません。

それからしばらくは2ドア時代。冷凍庫が上、冷蔵庫が下。それが常識。それがいつの間にか冷凍庫が下、冷蔵庫が上になり、チルドルームがつき、自動製氷機能がつき(これ、ほんとに便利!)、どんどん進歩してます。製氷皿って大変だったもんね。水を入れて凍らせて、出来たら自分で器に出すんだけど、この氷が全然製氷皿から取れなくて、裏から水をかけながら「むぎ~~~~っ!」ってひねって、「ミシ・・・ミシミシ・・・ガンガラガン!」っつって取れる感じ。今の子はそんなの知らないんだろうな。

僕が子供の頃は、冷蔵庫は「シールを貼る場所」でした。お菓子についてきたシールとか、もらったシールとか、全部そこに貼ってた。なので、ウチの冷蔵庫の横はシールだらけ。子供の頃はそれを眺めながら、なんだかうっとりしたものでした。

今、電気屋さんに行って冷蔵庫が並んでいると、まず開けてみますよね。その後、中の匂いをかぎません?かがない?オレ、嗅いじゃうんだよね。何の匂いなのかな、あれ。新しい家電特有の匂いなんだけど、冷蔵庫のそれはまたちょっと違ってて、独特のにおいがする。あの匂いの芳香剤とかないかな。作れそうじゃない?「新品の冷蔵庫の香り」とか「新車の香り」とか。本来は「芳香剤」じゃなくて「脱臭剤」なんだろうけどね、この場合。けど、ウチで使い始めると「ウチのニオイ」になるじゃん。どんなに脱臭しても、あの「新品の庫内」の匂いにはならないんだよね。う~む。
る:ルートビール
薬が調合されるときに、そこに毒が入るように、
徳が組み合わされるとき、そこに不徳が入る。
知恵は徳と不徳をうまく調合し、
それを人生の不幸に対して役に立てる
 - ラ・ロシュフコー



ルートビールって言われても、なんのことだかわからない人のほうがずっと多いと思います。ビールとは言っていますがビールじゃなくて、アルコールは入っていない、子供でも飲めるソフトドリンク。炭酸飲料。かなり甘くて、薬くさいのが特徴。人によってはシップの匂いとか言います。

このルートビール、僕が子供の頃よく読んでいたスヌーピーのマンガによく出てきたんです。チャーリー・ブラウンとかライナスとかが、「マシュマロとルートビール!」なんて言ってよく飲んでた。それがなんかすごくアメリカっぽくて魅力的で「この謎の飲み物は一体なんだ?」って思ってたのです。

で、その後大人になってアメリカに行ったとき、街でベージュのコートをルートビールを見つけましてね。「これだ!」と。で、飲んで見たわけです。

・・・なんだこれ?

とにかく甘い。それも変な甘さ。でもなんていうか、妙にクセになるっていうか・・・

そもそも僕は、「薬くさい」ってのがキライじゃないのです。ドクター・ペッパーとか大好きなんだよね。だから、ルートビールの薬っぽい感じも抵抗ない。むしろ、それが変にあとをひくっていうのかな。

で、先月の夏休みに沖縄に行ったとき、A&Wっていうハンバーガーレストランがありまして、そこがルートビールが名物なわけです。で、久しぶりに飲んでみたらね。

これがおいしいの!

ビールのジョッキになみなみと注がれてくるんだけど、ほんとにおいしい。おかわり自由なので思わずおかわりして2杯目。うん、おいしい。

これ、東京でも普通に手に入るようにしてくれないかなぁ。そこらへんのコンビニに置いておいてくれれば、いつでも飲めるのに。

・・・そういえば昔から、僕が好きなものはすぐに消えていったなぁ。僕が好きになるアイドルも、みんな短命だったし・・・。

あ、そっか・・・だから友達が少ないのか・・・
り:りんご
美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい??
そう思った時点で君の負けだ。
ライバルが何をしようと関係ない。その女性が本当に何を望んでいるのかを、見極めることが重要なんだ。
 -スティーブ・ジョブズ


彼女が切った一つのリンゴを、薄汚れた喫茶店のバネの壊れた椅子で食べたのは吉田拓郎。
罪の果実を召しませと差し出したのは椎名林檎
ニューヨーク(Big Apple)で愛を語ったのはカジャグーグー
りんぐぉ~~~~~~ぬぉ~~~~はぬぁ~~~~びらぐぁ~~~うぁ~~~うぁ~~~美空ひばり大先生

歌になりやすいんですかね、りんご。時代はバラバラだけど。ちなみに、一つのスイカを切って大きい方を渡されたけど、切り口が真っ平らでかじるきっかけがなくて困ったのは所ジョージ。無理やりかじったら、口の周りの化粧が取れて、腹話術の人形のよう~。

子供の頃、包丁を使う練習として、りんごの皮むきをやったのを覚えてます。根っからの不器用なので、めちゃくちゃ厚く皮をむいてしまい、むき終わる頃には実がなくなってるという。この作業、今でもちょっと苦手。皮のままのりんごを手渡されると、ワイルドなフリしてそのままかじるけど、本当は皮をむいてほしい。

りんごとかけまして
勝てそうな麻雀とときます
そのこころは
パイがいい

・・・だめだめ。唐突になぞかけやって、そんなドヤ顔で終わらせようったって、そうはいかないんだから。

ポテトサラダに、時々りんごが入ってるヤツあるでしょ?あれ、好きですか?僕にはあれがよくわかんない。りんご、必要?酢豚のパイナップルよりは許せるところあるんだけど、それでも、必要だとは思えないんだよなぁ。

で、ああいう「食べ物にフルーツが混ざってる」ってことがイヤなのかとも思うんだけど、その代表格としてよく言われる「生ハムにメロン」っていう組み合わせ。僕はあれが大好き。あれは絶対おいしい。メロンの甘みと生ハムの塩味がなんともいえず。

・・・ほら、さっきのドヤ顔で終わらせておけば、こんなにグズグズにならなかったのに。ムカつくけど。
ら:ラーメン
企業という言葉は創造と同義である。
新しいものを世の中に提供していく力がなければ
企業である必要はない。
 -安藤百福



もはや説明不要の日本の国民食。カレーと並ぶ二大巨頭、ラーメン。

うまいよなぁ。まずいラーメンってのに出会ったことがない。あんまり好きじゃないラーメンはいくつかあるけど、「まずいラーメン」ってのはない。

スープで言うと、味噌、塩、しょうゆ、とんこつ。この中では、味噌が一番好き。

麺で言えば、細、中太、太。麺は太い方が好き。

となると、選択肢は札幌の味噌ラーメン。うまいよなぁ。

逆に、細麺の塩ラーメンがちょっと苦手。苦手っていうか、「積極的に選ばない」っていうくらいのもんだけどね。あっさりしちゃってて、食べた感がない。

で、そういうあっさりをずっと避けてたら、この間そういうあっさりスープのラーメンに出会っちゃいましてね。「あぁ・・・しまったなぁ」とちょっと後悔したんですが、スープがいつまでも飲めちゃう。その時に「あぁ、なるほど、こういうことなのか」って、ちょっと見直したりしました。

あとは具ですけど、これはそんなに凝らなくていい。メンマ、もやし、チャーシュー。それくらいで十分。「ラーメンに伊勢エビ入れるバカ」ってのは、バランスがわかんなくて全体をぶち壊しにすることの例えで、僕が良く言う言い回し。

そういえば、最近なるとの入ってるラーメンって見かけませんよね。なんでですかね?あれ、結構好きなんだけどなぁ。しょうゆラーメンじゃなくても、入ってるとちょっとうれしいんだけど、入れてくれませんよね。あと、わかめなんかも入ってるとうれしいんだけど、これもなかなかない。まぁ、わかめの場合はスープを選ぶところあるから・・・味噌ラーメンにはなかなか入れないかもね、だから・・・いいんだけど、なるとは入れててもいいと思うんだけどね。でも、とんこつに入ってたらちょっとびっくりするかな。

ラーメン屋のラーメンはもちろんだけど、インスタントのうまさは、あれはあれでまた別物。最近は生めんタイプみたいのが多くなってるけど、僕がインスタントラーメンに求めるものはああいうものではないのです。チャルメラ。またはサッポロ一番。いって中華三昧。ここまで。この3つは、本当によく食べた。学生の頃なんかは毎日のように食べてたなぁ。いまだに、あの縮れた麺と、それに絡みつくスープの香りをかぐと、夜中の一人ぼっちの部屋と、当時の深夜のテレビを思い出すもんな。タモリ倶楽部とか見ながら、「あぁ、オレは今、自由だ!」とか思ってた。

思うに、人生のあらゆるシーンに、ラーメンはいつもあったような気がする。様々な記憶とともに、その味は一つの里程標(マイルストーン)としてそこに存在している。それは私が歩んできた道のりであり、確かに自由だったあの頃の証でもある。一杯の丼の中に・・・いや、それは往々にして鍋のままで、あるいは発泡スチロールの容器で現れ、儚くも美しい麺とスープは、ものの十分足らずで消えてしまう。しかし、人はそのたった十分で、一生を支えられるほどの喜びを得ることだってできるのだ。あぁ、ラーメンよ。そなたのその美しき肌に身を横たえ・・・


・・・って、何言ってるんだかわかんなくなってきた。
よ:ヨーグルト
もらいたいなら、与える事を学べ
(Ако искаш да вземаш, научи се да даваш)
 -ブルガリアのことわざ



まぁ、いつものことですが、この「あいうえお」ブログ。テーマを決めてから途方にくれるという・・・

ヨーグルト。

日本では「酪」といわれ、かなり以前から寺院などでは食べられていたんだそうな。「酪農」の「酪」ですね。ちなみに、「五味」と言うと「乳、酪、生酥、熟酥、醍醐」の五つ。「醍醐味」なんてのは、ここから来た言葉。

体にいいらしいということはわかっていますが、普段はあんまり食べてません。そもそも酸っぱいものがちょっと苦手。進んで食べたいともあんまり思わないんですね。海外のホテルに行くと、朝食にはわりとよく出てきます。必ずシリアルと一緒に。で、ああいうのを食べて改めて認識するのが、やっぱりヨーグルトって酸っぱいんだ、ってなこと。比較的女性に人気があるように思えるのは、あの酸っぱさ故なんですかね。

そういえば、小学校の給食に出ましたね、ヨーグルト。ガラスのビンに入ってて、スプーンがやっと入るくらいの大きさ。あれは甘くておいしかったな。ヨーグルトって言われて最初に思い出すのは、あの味だな。

僕なんかはアレルギー持ちなので、本当はもっと食べた方がいいんだよね。ほら、アレルギーを抑える効果があるっていうじゃない?

「ヨーグルトなどの乳酸菌食品は、摂取することで花粉症に効果があると言われ、免疫力を高める働きがあるとも言われるが、脂肪が含まれる食品の共通の性質として、過度に摂取するとアレルギーを悪化させたりすることもある。」(Wikipediaより)

・・・げ。なにごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」ってことですね。まぁ、普段から「あんまり食べてない」と自覚できるくらい食べてないわけだから、「ちょっと食べてみよう」くらいに意識するのはいいことだよね。

・・・あとは、「探偵ナイトスクープ」で昔やってた、「大阪・伊丹空港近くのチチヤスヨーグルトのオブジェに『賞味期限はフタに記載』と書いてあるが、いつなのか知りたい」という話がめちゃくちゃ面白かったんだけど、細かく話すと長くなるから割愛。

そんなわけで、みなさんもぜひ、食べてみてはいかがですか?(そんなシメ?)
ゆ:雪
欲深き 人の心と 降る雪は
 積もるにつれて 道を失う
 -高橋泥舟


Googleに 「雪」と名言 探したら
 どこもかしこも れりご~ れりご~
 -Takayuki Nishioka

ほんと、どうにかなんないですかね、れりご~。あの映画、まだ見てないんでなんともいえないんですが(見たら楽しい映画なんでしょう、きっと)、これだけ何度も連呼されると、それだけで飽きちゃって見たくなくなる。

まぁ、そんなひがみはともかくとして、雪。好きです。降っているときの妙なウキウキ感と、それとは対照的に静かに沈んでいく街。降った後の街はただただ沈黙していて、澄んだ空気の中にひっそりとたたずむ感じ。好きだなぁ。

今年の冬は大雪だったじゃないですか。東京でも雪かきで大変な思いをしましたけど、体中へとへとになりながら、部屋に帰ってお茶とか飲んでると、なんかしみじみと楽しかったんだよね。「あぁ、冬だなぁ・・」とか思っちゃって。豪雪地方の人に言わせればちゃんちゃらおかしいのかもしれないんだけどね。

雪に関する最初の記憶ってなんだろうな・・・小学校2年生くらいのときに、学校の宿題で詩を書けってのが出て、その時たまたま雪が降ってたので、外に出て空を見上げてたら、空から雪がどんどん降ってきてた。それをずっと見てたら、なんだか空に吸い込まれていくような感じがして、不思議な感覚がすごく楽しかった。で、それを詩にしたのね。そしたら、しばらくして同じ頃テレビでやってた『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマが『ゆきがふる』という歌になりましてね。その中に「とつぜん ぼくは のぼってく せかいじゅうから ただ ひとり そらへ そらへと のぼってく」という歌詞がありまして。「うわっ、これ、僕の詩だ!パクられた!?」とか思って、すごくビックリしたのでした。(ちなみに、当たり前のことですが、もちろんパクりなんかであるはずがなく、これはまどみちお氏の詩です)

あれから、雪が降ると必ず空を見上げてあの時と同じような感覚を試すんですが、なぜかあれ以来、空に吸い込まれるような、あの不思議な感覚になれません。何年もやってるんですけど、どうしてもあの感じになれないのです。僕も大人になって、何かが変わってしまったのかもしれません。でもきっと、今年の冬も、来年の冬も、これからもずっと、雪が降ったら同じように空を見上げると思います。あの不思議で幻想的な感覚を、もう一度味わうために。


 
や:野球
「不可能」の反対語は「可能」ではない。「挑戦」だ。
  -ジャッキー・ロビンソン



うわぁ、5月一度もブログを書かないで終わっちゃうとこだったよ。あぶねぇ~~。この時期、わりといつも本職の方が出張ラッシュになりましてね。うっかり忘れちゃうんですけど、それにしても更新なしで1ヶ月ってのはナシだよな。


ってなわけで、野球。こういっちゃなんですが、それほど興味はありません(おい)。

子供の頃は、父が巨人ファンだったので、僕もなんとなく巨人ファンでした。僕の頃は王・張本のOH時代で、エースといえば堀内。王選手の756号ホームランを、テレビで見てました。近所の友達を集めて、巨人の野球帽をかぶって日が暮れるまで野球をしてました。中学生くらいになって、飛んできたボールにぶつかるようになって、自分に運動神経がないと自覚できるようになった頃から、急激に興味を失いました。でも、子供の頃の、あのホームランの感触はまだ覚えてます。「ボコンッ!」という音とともに、塀の向こうへ吹っ飛んでいくボール。楽しかったなぁ。

今の僕はファイターズファンです。北海道日本ハムファイターズ。北海道に行ってしまったときはちょっと寂しかったけど、仕事で札幌まで行ったついでに札幌ドームまで試合を見に行ったら、広くてきれいな球場にぎっしりファンの人たちがいて、東京での冷たい境遇を思い返して、なんだかうれしくなったのを覚えてます。でも、ファンと言っても「勝ったらいいな」と思うくらいで、どの選手がどうだとか、成績がどうだとか、よくわかんないです。

野球の話で盛り上がってる人を見ると、ちょっとうらやましいです。「○○は今年は調子いいよねぇ」とか「昨日の××のヒット、見た!?」とか。僕自身、小学生の頃は友達とよくそんな話をしていて、だからそういう話が楽しいのも知ってるから。でも、今はできない。わかんないから。

う~ん、一ヶ月ぶりに書くネタとしては、苦しかったか。でも、またひさしぶりに野球やってみたいなぁ。
も:モントリオール
金メダルをとったらオヤジが車を買ってやると言ってたけど、
モントリオールまで応援に来たから、もう金が残ってないだろう
 -高田裕司



行ったことありません。でも、僕の中では一度は行ってみたい場所。そもそも、カナダって好きなんですよ。一度だけ、それもずーっと昔に一泊だけ、トロントに行ったことがあるだけだから、実質、何も知らないのと同じなんだけど、イメージとして良さそうな感じしません?ロンドンよりアメリカっぽい。アメリカよりヨーロッパっぽい。アメリカとヨーロッパの中間の感じが、すごくいいバランスになってるような気がする。公用語が英語とフランス語ってのもいい。フランス語は全然しゃべれないけど。「Montréal」ってのがいいじゃない。「e」の上の「'(アクサンテギュ)」がカッコイイ。これは単なるフランスかぶれ?ザンスか?

書き始めて気づいたんだけど、何しろ行ったことがないから、イメージだけのふわっとした話になっちゃって申し訳ない。ってか、モントリオールについて知ってることといえば、オリンピックのことくらい。

僕が物心ついて最初に覚えてるオリンピックがモントリオールです。誰が金メダルだったとか、どんな競技をやってたとか、そんなことは全然覚えてないけど、とにかくモントリオールとかいう場所で、オリンピックという、なんだかすごい競技大会をやってるらしい、というくらいの感じ。それで、この場所の名前を強烈に覚えたんでしょうね。

でね、ちょっと自慢なんだけど、僕、1964年の東京からスタートして、2020年の東京まで、オリンピックの開催年と都市を覚えてるんです。モントリオールを基準にして、2020年の東京までは、見た記憶があるので覚えてる。モントリオールより前は、東京までは3都市しかないので、それほど難しくない。なので、いつの間にか覚えてた、ってくらいの感じですね。

あとは、僕の本職に関わる会社の本社がモントリオールにあったんだけど、今はもうなくなっちゃったので、それもあんまり関係ない。というか、そのおかげで、ますますモントリオールに行く機会がなくなっちゃった。だからこそ、なんですかね。ますますあこがれは強くなる。

う~ん・・・モントリオールについて書くはずだったんだが、ほとんどオリンピックの話になってるな。あとは「アクセント記号がかっこいい」としか言ってないもんな。今回は、あいうえおシリーズ始まって以来のバカブログかもしれない。

め:目薬
涙は眼の上品なことばである
 -ロバート・ヘリック

この季節、目薬にはお世話になってます。もう、ちょっと油断するとすぐかゆくなる。そこにさす目薬は、まさに一滴の清涼。それはまるで、砂漠のオアシスのように、あるいは戦地に舞い降りた天使のように、はたまた、はきだめに鶴、割れ鍋に綴じ蓋、釈迦に説法、ネコに小判

・・・えっと

僕が普段常備しているのは、ロート Z! PRO。「清涼感 MAX!」みたいな感じで、ついつい買っちゃいます。こういう「ぐわ~~!しみる~~~!シャキ~~~ン!」みたいなのが、好きなんですよね。

でも、Z! PROは、普通のZ!よりちょっと高いんですよね。だから、買うときいつも、ちょっと「う~ん」って考えちゃうんだけど、パッケージの裏に清涼感レベルっていうグラフがあって、やっぱりPROの方がシャキ~ン度が高いわけですよ。で、「『かなりシャキ~ン!』より『スーパーシャキ~ン!の方がいいに決まってるよなぁ」とか思って、買っちゃうんです。一度、別の会社の似たような目薬を買ったことがあるんだけど、やっぱりZ! PROのほうがよかった。そういう経験もあったりして、今は完全に固定してます。

で、何がこんなに「しみる~~~!シャキ~~~ン!」なのか、手元のZ! PROの箱をしげしげと眺めてみたところ、成分として「l-メントール、d-カンフル、ペパーミントオイル、ハッカ油」とかが入ってる。なるほど、こりゃ「しみてシャキ~ン」なわけだ。メントールとかハッカ油とか、目にさしていいものなんですかね?まぁ、ダメなら発売しないだろうし、ダメだと言われてもさすけどね。

で、この季節は特にそうなんだけど、毎日のようにさしてると、それがないと落ち着かなくなるのね。まさに中毒症状なんだけど。目薬だって「薬」ですから。そんなに何度もさして、いいわけないでしょ。だから、回数は気をつけないといけない。ってか、Z! PROだと一回の「シャキ~ン!」の衝撃が大きいので、そんなに何度もささなくてすむんだけどね。1回です~っとかゆみもおさまるし。で、もう一度パッケージを見てみたら、用量としては1日5-6回らしい。うん。そんなにさしてない。じゃあ、そんなに気にしなくていいのか。

なんか今日のブログ、Z! PROの宣伝みたいになってません?僕はロートとはなんの関係もないけど。ロート製~薬~ ハトがバサバサー(って、なんのことかわからない人が多いんだろうなぁ・・・)
む:紫式部
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
 雲がくれにし 夜半の月かな
  -紫式部


昔から、そもそも歴史が苦手なのです。古文ってヤツも、それを面白いと主張する人の気持ちはよくわかるし、わかれば面白いんだろうと思うんだけど、「いづれの御時にか、女御・更衣あまた候ひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」とか言われても、「・・・なんのこっちゃ?」としか思えない。それに現代語訳が付いても、「いずれの帝の御世であったろうか、女御や更衣が大勢お仕えされていた中に、それほど高貴な身分ではないものの、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいた」ってのがやたら回りくどくて、「要するに『むかしむかし、大した身分じゃないけどやたら愛されてるヤツがいた』ってことだろ?だったらそういえばいいじゃん」ってなっちゃう。あの表現の奥にある真意にたどり着けないのです。

そういえば、学生の頃の僕の友達が、「昔の人は、犬に吠えられてびっくりしたときに『いとあやしき犬のほえたり!』とか言ってたのか?」とか言ってたけど、そうじゃねぇよ。

紫式部。あの時代に「才女」をやってくのは大変だったろうなと想像します。同時代にもう一人の才女として挙げられる清少納言がいわゆるコラムニストだったとするなら、紫式部は純文学。どっちにもどっちのつらさがありそう。ただ、僕のイメージとしては、清少納言は、やれ「春はいいわねぇ」とか、「かっこいい服着飾りすぎるの、ちょっとダサくない?」とかいう感じの、高慢な態度が鼻に付く書き散らし系。大して紫式部は執念系。実際どうだったのかは知りませんけどね。

どっちと付き合いたいかって言われたら・・・どっちもきついなぁ。だって、清少納言とデートしたら「ちょっと、その格好、なに?アタシと会うのにそんなダッサイ服着てくるわけ?みっともない。バカじゃないの」とか言わそうだし。紫式部だと「本日ディズニーランドへ向かうのは、一般的にそれが最もデートらしい形だという既成事実から来る非常に安易な結論であり、それ自体は無価値な選択ではないですか?」とか言われそう。うっせぇよ。

紫式部は清少納言をこきおろしてるらしいですよ。

「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく 人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人は いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ をかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」

「清少納言は、実に得意顔をして偉そうにしていた人です。利口ぶって漢字を書き散らかしていますが、よく見れば、まだまだ勉強不足の点がたくさんあります。あれほどいつも他人から抜き出ることばかり考えている人は、いつかボロをだし、末路はいいことがないに決まっています。軽薄な人の終わりはどうしていいはずがありましょうか」

・・・怖っ。でもここから推察するに、清少納言も相当高慢なイヤなヤツだったっぽいな。「アタシって才能あるし~」みたいな。「偉そうにして」「他人からぬきんでることばかり考えてる」「軽薄な」ヤツって、オレ、絶対友達になれないかも。

二千円札の裏が、清少納言じゃなくて紫式部だったのは、なんででしょうかね?やっぱ純文学だから?コラムニストじゃダメってこと?
み:ミジンコ
始まりは、どんなものでも小さい
 -マルクス・トゥッリウス・キケロ


漢字で書くと「微塵子」。すごいね。「木っ端微塵」の微塵。

ミジンコさんには小学校の理科の時間に顕微鏡の中でお会いしたっきり。あのときにはプレパラートの中で元気に泳いでいらっしゃったのを覚えております。しかしそれ以来とんとご無沙汰しているので、GoogleやWikipediaを駆使して(駆使ってほどじゃないけど)調べなおしてみました。

初めて知ったこと1:
「ミジンコに見られる大きな眼は、横から見ると左右あるように思えるが、実際は一つ目である。正面から見ると一つ目のお化けのように見える」(Wikipediaより引用)
へぇ~~~

初めて知ったこと2:
「ミジンコはDNAのサイズは約2億塩基対と小さいのに、たんぱく質を作る遺伝子は少なくとも約3万900個と、これまでゲノムが解読された動物の中で最も多いことが判明している。東京薬科大学やアメリカインディアナ州立大学などの研究によれば、ミジンコの遺伝子は3万1000個以上にのぼり、ヒトよりも8000個も多い」(Wikipediaより引用)
へぇ~~~~~~~~。体が小さいのに情報がいっぱい詰まってる、iPod nanoみたいなヤツってことじゃん。すげぇな、ミジンコ。

初めて知ったこと3:
「ミジンコには、自分とおなじクローンしか産まない単為生殖期と、交配して子孫を残す有性生殖期がある。一般的に、通常(環境の良いとき)はメスを産み、生存危機が迫ったときにだけオスを産んで交配するといわれている」(Wikipediaより引用)
環境さえ良ければメスしか生まない。ということは、通常の状態ではオスは要らないってことですね。まぁ、単為生殖ができるんなら、そりゃ必要ないけど、オスの仲間としては切ないなぁ・・・。あ、でも、生存危機が迫ったときだけ現れるなんて、ちょっとかっこいいじゃん、オス。そういうオスは、やっぱりミジンコ界でもヒーロー的存在なのかな。だとしたら、いいなあ、ミジンコ。

ちょっと調べたたけで(しかもWikipediaだけで)これだけ初めて知ったことが出てくるんだから、僕がいかにミジンコについて知らなかったか。あるいは、いかにミジンコが奥深い存在か、ってことなんですかね。まぁ考えてみりゃ生き物なわけだから、彼らには彼らの生態があって、コミュニティーがあるわけですよ。ミジンココミュニティーの中にもいろいろなしがらみがあったりして。しかも通常は女性だけの社会だから、ちょっとドロドロな感じになってたりして。人間関係(ミジンコ関係)が大変ですよ、こういうのは。上の人にはたてつけないしね。ちょっとたてつくとつまはじきになっちゃうし。ニッコリ笑って挨拶するけど、裏ではいっせいに陰口言いあってたりとか。ぶつかったフリしてコーヒーかけられたりとかしてね。「・・・あら、ごめんなさい(笑)」みたいな。んで給湯室で一人で泣いたりとか。

大変だなぁ、ミジンコ。
ま:窓
私たちは誰も、水平線の彼方にある魔法のバラ園を夢見ている。
それなのに、わが家の窓の外で今日も咲きほこるバラの花など見向きもしないのだ。
 -デール・カーネギー


本日わたくしは、大阪に来ております。少し早く仕事が終わったので、ホテルの部屋からブログなどを更新してみようかと思い立ち。この原稿を書いているパソコンの向こうは、部屋の窓。その向こうには、一面に広がる・・・

隣のビルの壁(--;)

むき出しのコンクリと、防音壁みたいな壁。なんかね、軽く落ち込みますよ、この風景は。バラ園なんか見えなくてもいいけど、せめて空が見たい。

思うに、そういう意味で、窓って大事ですよ。窓っていうか、その向こうの風景ね。

ずいぶん前の話ですが、仕事で、窓がまったくない部屋に一人でずっといたことがありましてね。音の出るものも何もなく、「し~ん」という音が耳に痛いくらいの静寂。その上窓がないと、人間、どうなると思います?

頭がおかしくなります。

なんていうんですかね・・・息苦しさというか、圧迫感というのか・・・ひしひしと怖くて、叫びだしてしまいそうな感じ。耐えられなくて、十数分おきに部屋を出て、廊下から窓の外を眺めてました。ちなみに、そのときに窓から見えたのは、はるかに広がる空き地と、そこを通る単線の線路。1時間に一本くらいの感じで、コトコトと電車が走ってました。

僕は子供の頃、幼稚園に行くのがイヤで、やたらグズった子でした(そろそろ、こういう「唐突な話題の切替」にも慣れてきた?)。本当にイヤでね。それでも無理やり連れて行かれるわけですけど、「どうしてこんなところにいなきゃいけないんだろう?」と悲しくて悲しくて。そのとき降っていた雨の匂いと、窓の外、水滴に歪む景色を、今でもはっきり覚えてます。今でも雨の匂いをかぐと、ちょっと切なくなるもんね。あぁなんか、書いてるだけで切なくなってきた。

えっと、俗に「社会の窓」といえば、特に男性のズボンのチャックのことですが、どうしてあれを「社会の窓」と言うんでしょうね?はい、調べてみましょう。

社会の窓とは男性が履くズボンの前部にあるファスナー(ジッパー、チャックともいう)のことである。これは1948年(昭和23年)~1960年(昭和35年)にNHKラジオが放送した番組『社会の窓』からきている。同番組は社会の内情を暴きだすという内容であった。これが大事なものが隠された場所という解釈になり、男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナーを社会の窓と呼ぶようになった。

へぇ~。なんかすごくありがちな感じなので、特にコメントないです。これ以上掘ってみても、何も出てこなそうだし。

「車窓」ってのもいいんですよ。新幹線とかに乗ると、ひろーい畑とか田んぼの中を走るときあるでしょ。「日本の車窓から」みたいな。細い農道みたいのが縦横に走ってて、ぽつん、ぽつんと家が建ってる。ああいう景色が好きでね。なんというか、しみじみと寂しいっていうのかな。もう薄暗くなってて、そこにまたぽつんと自動販売機とかがあったりすると、もう切なくてたまんなくなっちゃう。好きなんだなぁ、こういうの。

これも、さっきの幼稚園の頃にみた風景なんですよ。あの頃住んでたのが、わりとそういう場所でね。切なくて、さみしい。懐かしいというより、切なくなっちゃうんです。

なんか今回は、やたら「切ない、切ない」と連呼するコラムになっちゃいましたが、まぁたまにはいいでしょう。ホテルの部屋のテレビには「タカラヅカチャンネル」が入るようになっていて、そのチャンネルをつけっぱなしにしながら書きました。しかし、ホテルのキャンペーンで有料チャンネルが今なら無料らしく。この切ない気持ちを埋める素晴らしい映画でも見ようかなと。・・・なんですか?映画ですよ。・・・映画ですってば。
ほ:ほうき
音楽は、精神の中から日常の生活の塵埃を除去する
 ーJ.S.バッハ


ほうき。使ってないなぁ。小学校の掃除の時間に振り回したのが最後。よく考えたら、その時も「使って」はいない。振り回しただけで。今は掃除機だもんね。まぁ、その掃除機ですらまともに使ってはいないけど。振り回してるだけで。大変よ。ほうきと違って重いから。うりゃー!!

「酒は憂いの玉箒(たまははき)」ってなことを申しまして、心の憂さを取り払ってくれる素晴らしい飲み物なわけですが、このまま話を進めると「酒はいかに素晴らしいものか」という話になってしまい、ちっとも箒にピントが合わないので却下。酒の話の方が筆が進むとは思うんだけどね。でも、たった今気づいたけど、「箒」って漢字、ほうきの形に似てない?この字、このまま机の上とか掃けそう。さささ~って。

ついさっき、箒を作ってる会社のホームページを見てみたんだけど、箒にも実にいろいろな種類があって、カタログ見てると楽しいのね。日常に置いてあるだけだとなんてことないんだけど、こうして改めてちゃんと見てみると、機能美というかデザイン美というか、凛としたたたずまいがなんとも言えず美しい。しかも、それほど高くはないのね。こういう伝統工芸品みたいのって、びっくりするくらい高くなるのが普通だけど、一番大きそうなのでも7,000-8,000円くらい。十分高いか。DIYショップだと1,000円前後で買えるもんね。

箒の相方はちりとり。これはもう、切っても切れないですよね。鉛筆と消しゴム。便箋と封筒。トムとジェリー。やすしときよし。ちりとりのない箒は、ただの「ほこり攪拌器」。そうか、小学生のときに振り回してたのは、ほこり攪拌器としての機能だったのか。さすがオレ。全力で攪拌してたもんな。汗かいて。

あと箒っていうと、魔女の乗り物。どうして魔女は箒に乗るんでしょうね。しかも竹箒。

ほうきの柄に幻覚作用のある薬を塗りつけ、なめたりかいだり、またいだりすることで、トリップしたような状態になり、性的快感を得ていた
(検索結果抜粋)

・・・へ、へぇ~

まぁ、「魔女狩り」の悪しき習慣の中で無理に作った逸話みたいなものもあるだろうから、「ちょっとヒく話」になるのは致し方ないとしても、これが前提になっちゃうと宅急便を見るたびにちょっと頬が赤くなっちゃうなぁ。そういえばハリー・ポッターも箒に乗ってたけど、その話が本当だとすると、男の子の場合、またいでもあんまり効果が(以下削除)。いや、でも場合によっては後ろの(以下削除)

・・・なんでシモネタになったんだろう?この汚れた心をキレイにする箒、ありませんかね?(全然ウマくない)
へ:変態
おいおい、変態っておじさんのことかい?なんだか興奮してきちゃったよー
 -高田純次


いくらでも他の言葉でごまかしようがあるんだろうけど、思いついちゃったから仕方ない。「編隊」でごまかす手もあるんだろうけど、ここは正面突破。正々堂々の「変態」。

昆虫では、卵から孵化すると幼虫と呼ばれる形態となる。幼虫が、生殖能力を有する成虫になる過程で変態を行い・・・

ダメッ!そんな逃げの姿勢じゃダメッ!しかも大して面白くもないボケ、ダメッ!!

というわけで、変態。性欲的なことも当然含めての、変態。

どこまでが正常で、どこからが変態なのか。実のところ、誰にもわかんないんじゃないですか、こういうのって。だって、きわめてプライベートなことでしょ。自分では普通だと思ってることでも、他人から見れば変態ってことだってあるでしょ。しかも、比べることなんてないでしょ。例えばトイレ(特に個室)に行ったら、普通はみんな右半身だけ脱いで便器に座りますよね。全裸になる人がいたら、変態っぽいでしょ。でも、全裸の人は自分が変態だとは気づかないでしょ。・・・あれ?なんでみんな変な顔してるの?

さらに言うなら、全裸だろうが右半身だろうが、この場合、誰にも迷惑はかけてないわけです。ってことは、「通常とは違う」の一点のみで変態ではあるけれど、気づかれない限りは、本人も含めて全員が平和でいられる。場合によっては本人すら気づかない場合もある、と。

だからつまりね、誰にも迷惑かけないなら、変態だろうとなんだろうと、それは別に構わないわけですよ。

あ、当たり前の話ですけど、大前提として、犯罪はダメですからね。身体的・精神的・物質的、全部含めて。絶対ダメ。人に危害を加えるとか、もってのほか。「相手に不快感を与えることがうれしい」とか「盗んだ××が最高」とかになっちゃうと、それはダメ。

でもね、そんなレベルじゃなくても、みんな多かれ少なかれ変態チックなことしてるんじゃないですかね?意識的・無意識的は別にして。最初に話したとおり、「何をもって変態なのか」ってのは、「何が多数派なのか」で変わっちゃうから、ものすごく曖昧でしょ。日本では変態カテゴリーに入るようなことでも、他の国では当たり前、ってことだってあるわけだし。つまり、文化とか宗教とかによっても変わっちゃうってことね。

そもそも、アーティストってのは変態性をもってないといかん人なわけですよ。変態ではない・・・つまり、多数派と同じことしかしない人のことをアーティストとは言わないでしょ。そういう人が作った、ごく普通のものを見たり聴いたりしても、何も思わないでしょ。普通なんだから。普通じゃない、ちょっと違う発想こそがアーティストのアーティストたる所以(ゆえん)なわけですよ。

ね、だからお願いしますよ、看守さん。出してくださいよ~。
ふ:富士山
富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登っている。
散歩のついでに富士山に登った人は一人もいない。
 -ジョージ秋山


いわずと知れた、日本一の山にして世界文化遺産の富士山。標高3776m。3.766km。直線で歩けば1時間くらい。新宿から市ヶ谷くらいの距離ですかね。歩けなくはないかな。走れないとは思うけど。

実はわたくし、なぜか富士山に縁がないんですね。五合目まで行ったことすら一度だけ。頂上まで行ったことはありません。まぁ、ジョージ秋山氏のおっしゃるとおり、あたしなんざぁ散歩のついでに富士山に登ろうとしてるわけですから、頂上なんて行けるわけないんですけどね。サンダル履きで。

都内からでも場所によっては見える富士山ですが、近くで見ると圧倒されますよね。「でかっ!」って感じになる。静岡の子は画用紙いっぱいに描くって話を聞いたことあるけど、そうなんだろうな、やっぱり。

富士山には縁がないんですけど、なぜか河口湖にはやたら縁があるんですね。学生時代から何度も遊びに行ってる。テニスしに行ったりとかね。そこで見た、本当に裾野が広くてど~~んとでっかい富士山がやけに印象的でした。青春ってヤツですか?。「ですか?」って言われても知らないと思うけど。売店でマンガを買ったらお釣りを間違えられた話を書こうかと思ったけど、あれは相模湖だったので却下。

話を戻して富士山。

日本人が、そのアイデンティティーとして最初に思いつくのが、桜と富士山でしょう。

・・・アイデンティティーだって。そんな小難しい話をする気はないので、これも却下。大体、アイデンティティーってなんだよ。キーボードで打ちにくいし。「aidentexitexi-」

なんですかね。行く気になればいつでも行けるっていう気があるから、あんまり行かないんですかね。まだスカイツリーに上ったことがないのと同じような感じなんでしょうか。まぁ、スカイツリーに上るのと富士山に登るのじゃ、話のレベルが全然違うけどね。

意外なほど何も書けないなぁ、富士山。もっといっぱい書けるかと思ったけど、何しろ個人的な経験とか思い入れとかがあんまりないからなぁ。
ひ:ひまわり
たとえ僕の人生が負け戦でも、僕は最後まで戦いたい
 -フィンセント・ファン・ゴッホ



ひまわりの名言って、ありそうでないんですね。そんなわけで、「ひまわり」から連想するにはちょっとベタな感じもするけど、ゴッホの名言。いっぱいある中で一つ。

というわけで、ひまわり。夏の花。小学校2年生のときに、理科の授業で種を渡されて、家で育てて。あれってものすごいスピードで育つのね。あっという間に大きくなって、いっぱい種が取れた思い出があります。

あと記憶にあるのは、美瑛で見たひまわり畑。抜けるような青空、さわやかな風の中でゆれる一面のひまわり。人が誰も通らないので、風の音しかしないんです。まさに夢のよう。よかったなぁ。

そんなわけで、ひまわりには美しい、楽しい思い出しかないんですね。いつもみたいにグダグダボケをかまそうと思ってるんだけど、なんだかうまく思いつかない。あの暑苦しい感じも含めて、好きなんだなぁ、ひまわり。

でも、いけばなには向いてないかもね。ひまわりにもいろんな種類があるから、ちっちゃいヤツだとうまく使えるかもしれないけど、あの大きいヤツを一本、真ん中に「ドン!」って突き刺しておしまいにしたら、なんか男気を感じるいけばなになりそうじゃない?男らしいんだか、らしくないんだかよくわかんないけど。

あとひまわりで思いつくのは、種の配列がフィボナッチ数列だ、ってこと。

・・・ん?なんのこっちゃ、ですか?

はい、私もなんのこっちゃです。

なんでこんなことが記憶に残ってるかっていうと、前述した小学校2年のとき、いっぱい出来た種をみて、ぐるぐる回る渦巻きが「うわ~・・・」って思って(わかる?この「うわ~・・・」な感じ)、であとになって「ナントカ数列」ってヤツらしいとわかって、「なるほど、なんかこう、数学的なナントカなんだ」って思ったから。

で、ちょっとその「ナントカ」を調べてみました。

「フィボナッチ数列」とは、0,1でスタートし、続きは前の2つの数字の合計になっている数列。つまり

0
1
0+1=1
1+1=2
1+2=3
2+3=5
3+5=8
5+8=13
8+13=21
・・・

という数列。

この配列は、ひまわりの種だけじゃなくて、例えばまつぼっくりとか、カタツムリの殻とか、木の枝とか、いろいろなところに現れるんだそうな。

で、「ひまわりの種がフィボナッチ数列だ」とはどういう意味かというと、ひまわりの中央から外周に向かって並んでいる種をつないでいくとらせん状の線が描けるが、これがフィボナッチ数列に含まれる数字の数だけ描ける、ということらしい。

・・・ふ~ん。なんだろう、この「なんかうまく丸め込まれたような」感じ・・・。

でもそれ以上に、「あの種の、右回りのらせんの数と、左回りのらせんの数は違う」って言われると、なんか不思議な感じしません?そんなの、当然同じになるべきだと思わない?ちょっと考えれば、同じになる必要はないってわかるんですよ。むしろ違うほうが当たり前なの。でも、一瞬「え?なんで同じじゃないの?」って思っちゃうでしょ?で、さらにそれがフィボナッチ数列だって言われちゃうと、へぇ~ってなって

・・・これ以上深入りしないのがニシオカさん的人生。
は:はみがき
かみつく勇気がないなら歯を見せるな
 -フランスのことわざ



あらためまして、新年あけましておめでとうございます。

2014年、この「あいうえおブログ」も、ここから後半に入ります。なんかキリが良すぎてびっくりしちゃうんですけど、これも日ごろの私の努力の賜物かと、深く想いをはせております。なお、このあいうえおブログ、始まったのがおととしの年末。後半終了、すなわち、あいうえおブログ終了は、このペースで行けば今年の年末です。何が努力の賜物だ。

さて、はみがき。鱧(はも)でも羽でも、配管工でもハラスメントでも、ましてやハラショでもなく、「はみがき」。毎朝毎晩、毎食後に歯磨きをし続けたとして、3x365x80=87,600回の歯磨きをすることになります。

ところで、どうして人間は歯を磨かなきゃならないんでしょうか?野生の動物は虫歯にならないんでしょうか?

はい、調べてみました。

簡単に言うと、歯の表面のエナメル質は、とても固いけど酸に弱い。酸の素になるのは糖分。野生の動物が食べているものの中にはほとんど糖分がない。だから虫歯にならない。

へぇ~。そういえば、こんな話、昔学研の「ひみつシリーズ」で読んだような気がする。

歯磨きの仕方にもいろいろあって、代表的なのがローリング法とバス法。僕がやってるのはバス法なんですが、昔はテレビなんかではローリング法を勧めてましたよね。僕がバス法をやってるのは、子供のとき虫歯になって通った歯医者さんに「この方法で磨きなさい」って教わったから。それからずっとバス法です。ってか、ローリング法って難しくないですか?何度かトライしたことあったんだけど、どうにも磨けない。だからバス法。がしがし磨いて、ゆすいで。んで最後にリステリン。あれがないと落ち着かないくらい。

電動歯ブラシを使ってる人います?(話題が飛びまくりなのはいつものこと)僕も使ったことあるんですけど、磨けてる感じしなくないですか?「こんなんでいいの?」とか思っちゃう。どうやらそれでいいらしいんですけどね。手で磨くと必要以上に力が入っちゃって、いいことないみたいだから。でも、どうにもさっぱりしない。だけど、正しいローリング法なんかやろうと思ったら、電動歯ブラシがいいんでしょうね。あんな動き、機械じゃないとできないよね。

だけどさ、そうまでしなきゃ守れない歯って、なんなんだろう?人間ももう結構ながいこと人間やってるんだからさ、歯の方ももうちょっと進化してくれてもいいのにね。何を食べてもへこたれない歯。少なくとも、糖質にはもうちょっと強く進化しててもいいよね。ただ、あらゆる進化がそうであるように、何かに強くなると、何かに弱くなる、糖質に強くなたら、何か別のものに弱くなるんだよね、きっと。例えばでんぷんとかさ。あるいはたんぱく質とか。あるいは粘着質とか。いつまでもつきまとってくる、昔の弱みを握られてる知り合いとか。

みんなも虫歯にならないように気をつけてね(←あ、飽きたな)
「あいうえおブログ」前半まとめ
さて、好評(?)連載の「あいうえおブログ」も、前回の「の:のれん」で前半戦終了。めでたく折り返しとなるわけですが、ここまで出てきた言葉をまとめてみましょう。このテーマでは「「この話なら書ける!」っていうテーマじゃなくて、とにかく真っ先に思いついた単語。それに沿って書いていく」決まりなので、ニシオカの「思考傾向」が見えるかもしれません。

あ:朝日
い:椅子
う:うどん
え:鉛筆
お:温度計

か:かばん
き:機械
く:薬
け:けん玉
こ:コーヒー

さ:サバイバル
し:幸せ
す:スカイツリー
せ:世界地図
そ:ソーセージ

た:太鼓
ち:チョコレート
つ:つめ
て:天丼
と:東大

な:納豆
に:ニシオカさん
ぬ:ぬらりひょん
ね:ねこ
の:のれん


そうですねぇ・・・まずは「飲食物」が比較的多いですかね(6/25)。逆に、思いのほか「カタカナ率」が低いような気もします(5/25)。
あと「ん」率が結構高い(9/25)。無意識に「ん」が入る言葉で探してる、ってことなんですかね?
カタカナにおける「-」率の高さ(4/5)も、それを裏付けてるような・・・要するに「思いつかないーー・・・んん・・・」の「-」と「ん」なんでしょうかね。

後半に入ってくるにしたがって文字数が増えているような感じがするのは、慣れもあるんでしょうか。そういえば、冒頭の名言もちょっとしたひねりが入ったりして、慣れた感があるような気がします。

これを、例えば10分で答えなさいって言われればもっと顕著な傾向が出るんでしょうけど、何日もかけて並べてるわけで、その日の気分で全然バラけちゃいますわな。そういえばこれを書くときに「次の文字は○だな、そうなると「○○○」かな」とか思うんだけど、いざ書くときになったら、いつも全然違う言葉で書いてるもんね。そんなこと言っちゃったら、ここまで並べておいて身もふたもないけど。


さて、後半戦は「は」からスタートです。鱧(はも)、羽、配管工、ハラスメント、ハラショ、・・・はひぃ~
の:のれん
のれんは磨いて初めて値打ちが出る。
 -松田 伊三雄



のりさん、ごめんね。「次は『の』だ!」って期待してたのに、最初にぱっとおもいついたのは、なぜか暖簾だったのよね。

ということで、のれん。暖簾。お店の入り口等にぶら下がっているところの布。温泉の入り口にぶら下がっている場合、赤地に「女」の文字が書かれているそれは、単なる布であるにも関わらず、入るどころか触れることさえ許されない強固な防衛力を持つのれん。

「のれんわけ」なんていうと、店の看板を引き継ぐこと。あ、引き継ぐってのは違うのか。同じ屋号で店を出すこと、ですかね。「支店・支社」でもないもんね。のれんわけの場合は完全に独立採算でしょ?

しかし、そう考えるときわめて人情味のある制度ですね、のれんわけ。店の看板(つまり信用)は使わせてやる。後は勝手にやりなさい、ってことでしょ。させたこともしたこともないから、本当はどうなのかは知らないけど。で、ここから騒動が起きて分裂しちゃったりすることもある、みたいな。ちなみに、冒頭の言葉の松田 伊三雄(まつだ いさお)氏は、元三越の社長です。

「のれんをくぐる」などというと、飲み屋に行くこと。僕も一介のサラリーマンで、同僚とのれんをくぐることだってあるけど、なんかこう、「のれんをくぐる」っていう言葉が持つものとは、オレたちのそれは違うような気がするんだよなぁ。「のれんをくぐる」っていうと、座敷にあぐら、またはカウンター。んで、ビールと焼き鳥。で、仕事の愚痴。まさに「サザエさん」の世界なイメージ。そういう飲み会をしたことがないわけではないけど、僕が同僚と飲みにいったそれが「のれんをくぐった」のかと言われると、よくわかんないけど、なんか違うんじゃないかと思うんだよね。いや、まさに「のれんをくぐった」んだけどね、本当は。なんだけど、やっぱりなんか違う気がする。なんだろうなぁ、これは。

ただ、実際に(物理的な意味で)「のれんをくぐる」感じってのは、いいもんですよね。手でぱっとひらいて、すっとくぐる。かすかな布の香りと、体にあたる柔らかい感触。ちょっと上質な感じがします。布なので閉塞感・圧迫感もないし。時折吹く風になびいたりするのもまた美しく。強い風だとけっこうちゃんとはらんで受け流してくれたりもする。たいしたもんだ。

改めて見直してみたいもんですね、のれん。自宅の玄関にかけてる人とかも結構いそう。あとはリビングと台所の仕切りとかね。味噌汁運んできて、のれんの隅っこがぽちゃっと漬かっちゃって「あぁ~~~!」みたいなの。あるでしょ。だってあったもん、オレ。カレーとか運んだりした日にゃ、もう大変。のれんがカレーを撫でたりなんかして、あぁぁぁ~~~~~~~!!!

のれん、ダメじゃん(--;)
ね:ねこ
猫は人間の最高の友たり得るが、
それを認めることは品位を落すこととして決して認めようとしない。
 -ダグ・ラーソン



ネコ派かイヌ派かと聞かれれば、即答で「ネコ派!」と答えるニシオカです。かわいい。ほんとにかわいい。ぐでぐで、ごろごろ、もふもふ、にゃぐにゃぐ、あぁ、もう!

基本、ツンデレなんですかね、ネコ。黙ってて向こうから擦り寄ってくるようなことはない。特に人に恩義を感じているふうもない。「なでたきゃ、なでさせてやってもいい」くらいの姿勢。「ご飯さえもらえるなら、この家じゃなくてもいいんだから」くらいの姿勢。どうも他人を見ているような気がしない。

でもね、僕、ネコアレルギーなんです。ネコがいるだけで、くしゃみ・鼻水・涙のオンパレード。抱っこしたいし撫でたいんだけど、そんなことしたらもう大変。目は腫れあがり、滝のように鼻水が出て止まらない。こういう「届かぬ想い」ってのはほんとに辛い。大好きなんだけど抱きしめられない。だからこそ余計に想いは募ります。あぁ、切ない。

学生の頃、まだネコアレルギーもそんなに重症ではなかった頃、自宅でもネコを飼っていました。いつの間にかウチにいついてしまったキジトラ。名前は「ネコ」。ほんとに器量よしで、かわいいネコでした。膝の上にも載るし、その格好から抱っこして前足を持って躍らせたりしても怒らなかった。尻尾を触ったときと、ご飯時に名前を呼んだときだけ「にゃあ」と返事してました。だけど、自分から仰向けに寝るとかいったリラックスした姿勢は絶対に見せず、一人でいるときはいつでも箱座り。新聞を広げて読んでいると、必ず紙面の真ん中に箱座り。テレビを見ていると、必ず僕と背中合わせに箱座り。このあたりに彼女(メスでした)の誇り高いプライドを見ました。彼女はかなり長生きして、最期は大往生でした。

あぁ、ネコ飼いたいなぁ。飼えないなぁ・・・。(T T)
ぬ:ぬらりひょん
苦しむことから逃げちゃイカン。
人生はずっと苦しいんです。
苦しさを知っておくと、苦しみ慣れする。
これは強いですよ。
 - 水木しげる


ぬらりひょん以外の言葉がどうしても思い浮かばなかったんだよね、ぬ。別に妖怪が好きなわけじゃないし。そもそも「ぬらりひょん」って言葉が出た時点で、「どんなヤツだっけ?」ってなったくらいだからね。よく知らないんだよ。

岡山県の伝承では、ぬらりひょんは海坊主に類するものとされ、瀬戸内海に浮かぶ人の頭ほどの大きさの球状の妖怪で、捕まえようとすると沈んだり浮かんだりを繰り返して人をからかうという。「ぬらり」と手をすり抜け、「ひょん」と浮いてくることを繰り返すためこの名称が付された。(Wikipediaから引用)

「ぬらり」とすり抜け「ひょん」と出る。ってことは「ずるりぽん」でも「でろりばん」でもいいわけだ。「ちろりあん」とか。「ちろり」とすり抜け「あん」と出るって、なんかエロくない?

ってかさ、そもそも「ぬ」って、そのものが変じゃない?音の響きも面白いし。文字もなんか中途半端だしね。「め」なの?「ぬ」なの?「ぬ」って文字をじっと見てると、「め」って読みたくなってきません?「ぬめぬめ」って書いてじっと見てると、頭混乱してくるでしょ?「ぬのぬの」「めのめの」「めめめめ」「ぬのめの」「めぬおえぬえ¥ぢをうひおぅおーーkdf!!!!!!!!

「ぬらりひょん」どころか、最初の「ぬ」で混乱しちゃってるんだから、あとの「らりひょん」についてなんか話せるわけがない。ってか「らりひょん」って何?相当イっちゃってる人だよね。だからあの薬はやめておけって言ったろ?らりひょんじゃねぇかよ。

なんだこのらりひょんなコラムは。。。。
に:ニシオカさん
木組みは木の癖で組め。
癖のある木は厄介。
しかし、右にねじれた部材と、左にねじれたものと組み合わせれば、強靱な力が生まれる。
 -西岡常一


例えば自己紹介とかで自分の名前を言うのって、僕はなんだかすごく恥ずかしいんですよ。僕なんて別に変わった名前じゃなくて、きわめて普通のありふれた名前だけど、そういうのとはちょっと違う気恥ずかしさっていうのかな。ほら、名前って自己主張の一歩目でしょ。そういうのがなんか恥ずかしいのかも。僕なんか、人より目立ちたい気持ちは強い方だと思うんだけどね。そういうのとは違うのかな。

今は阪神の西岡がロッテにいた頃、すごい活躍をした次の日に、スポーツ新聞の一面に「西岡、やりたい放題!」って書かれたときには「そ、そんなにやりたい放題したかなぁ・・・?」とか思って、ちょっとどきっとした。

あとは・・・俳優の西岡徳馬氏と、フォークソングの西岡たかしくらいかな。それほどいないんですね、有名人。

よっしゃ。ここは一つ、オレがぶっちぎりの有名人になって、「ニシオカと言えばタカユキ!」となってやろうじゃないかっ。

まずは会社で、営業の「ミツオカさん」と間違われないようにするところから・・・。
な:納豆
納豆にネギいれるほう?
 -のはらしんのすけ


何も書くことがないときのために始めたはずの「あいうえおブログ」なのに、まさかこれすら書かなくなるとは思ってもいなかった。ってか、「あいうえお」の存在すら忘れてた。先月の更新は、ついに一回きり。いかんですよ、こんなことじゃ。

ってなわけで、納豆。あれを最初に食べた人はすごいよね。要するに「おかしくなっちゃった煮豆」でしょ?よっぽどおなかすいてたんだね。「おなかすいたなぁ・・・このままじゃ死んじゃうよ。ずいぶん前に煮た豆があるけど・・・うわ・・・糸ひいちゃってるよ。食べたら死んじゃうんだろうなぁ。でも、食べなくても死んじゃうしなぁ。いいや、食べちゃえ。どうせ死んじゃうんなら、何か食べて死んだ方がいいや」くらいの感じだったんじゃないでしょうかね。

考えてみれば不思議な食べ物で、きらいな人は見るのもイヤ。好きな人は徹底的にこだわった食べ方を持っている。きらいな人は関西方面に多いようだけど、どうして関西方面では広まらなかったんでしょうね?

僕の場合、まず醤油も何も足さずにかき回して粘りを出す。回数を決めたりするような無粋な真似はいたしません。白い糸が全体を覆うくらいまでしっかりかき回して粘りを出したら、醤油とからしをたっぷり。納豆のパックにはじめからついてるダシとカラシは使いません。そんでネギ。時々しその葉。なかには卵を足す人もいるんだけど、これを足しちゃうと粘りが薄まっちゃう感じがして、僕はしません。やるなら卵かけご飯に納豆を乗せる。これはうまいよ。あと、味噌汁をぶっかけた、いわゆる「ねこまんま」に納豆を追加。これもおいしいです。

粒の大きさはその日の気分によってもいろいろ変わるんだけど、あれは結局粘りと歯ごたえのバランスの問題なのよね。ひきわりだと粘りが勝る。大粒だと歯ごたえが勝る。そのどちらをより多く楽しみたいか。あるいは、そのバランスのいい小粒くらいがいいのか。ね。(問題提起だけしておいて、めんどくさくなっちゃったから「ね。」で終わらせる作戦)

会社の近所にかつてあったスパゲッティ屋に、ミートソースに納豆を追加した「ミート納豆」(略して「みとなっとう」・・・「ミート」の「-」しか略してないけど)ってのがあって、おもしろ半分で食べてみたらこれが結構おいしくてね。ただ、食べ終わった後の皿が悲惨なことになってて、「うわ・・・これ洗うのイヤだなぁ」ってなります。

そう。納豆はいつでも、食べ終わった後の始末が大問題なのです。快楽の後には必ず義務が待っている。それはまるで人生のように。

ね。(人生とか言っちゃっておいて、めんどくさくなっちゃったから「ね。」で終わらせる作戦)
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